「いいじゃない、どっちの男か知らないけどさ、どっちも恰好良かったし」
「冗談じゃありませんよ」
「どうしてよ?」
「どうして? だって男ですよ? 男。誰だって逃げたくなるでしょう?」
「そうかな? アタシは相手次第だな。あんなイケメンだったら考えちゃうかも。違う?」
意味深な瞳を、美鶴は憮然と見返す。
「見た目が良けりゃ、誰でもいいんですか?」
「見た目はダイジよ。アンタは違うの?」
「違います」
居ずまいを正す。
「私、好きでもない男が押しかけてきても、嬉しくともなんとも思いません。迷惑なだけです」
「じゃあ、相手が慎ちゃんだったらいいんだ」
「え? それは」
霞流さんが押しかけてくる? ウチに?
「美鶴、俺と一緒に住もう」
ドッカーンッ! シューシューシュー
「頭から湯気が出てるよ」
「ほっといてください」
「ウブね」
「それもほっといてください」
「でもさ、どうせ慎ちゃんの事だって、顔で好きになったんでしょう?」
スッと、熱が冷めた。
「ち、違いますよ」
そう否定はしてみたものの、強く怒鳴る事はできなかった。
少し俯き、ただ不愉快そうに唇を尖らせる相手をしばし観察し、やがてユンミはタバコをテーブルに押しつけた。
「まぁいいわ。事情はわかった」
近くにあったビニール袋に吸殻を放り込む。
「そういう理由なら、無理に追いだすワケにはいかないわね。あの二人がどんな男なのかは知らないけれど、思春期の男はどんなヤツでも狼になる可能性はあるワケだし。身の安全を考えて飛び出すってのは正当な理由だとは思うしね」
ユンミの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「でもさ、それならなにもこんな部屋に転がり込んでくる必要はないんじゃない? ネットカフェとかさ、寝るトコくらいならいくらでもあるじゃない」
「お金がかかるでしょ」
「唐渓の生徒がお金の心配? あそこって、金持ち学校なんでしょう?」
二本目のタバコを取り出す。
「あぁ、でもアンタの母親、水商売してんだっけ? まぁ、ホステスやキャバ嬢の娘が私立に通っちゃダメだなんて法律も無いし、お水でも稼ぐ人は稼ぐけどさ、なんかヘンよねぇ」
窓から差し込む薄暗い光に瞳を細める。
「慎ちゃんに聞いた話だと、唐渓って、この辺りではお金持ち学校で有名なんでしょう? 進学率も高いけど、とにかくお金がなくっちゃ入れないって」
間違ってはいない。
「家柄も重視されるって聞いてる。そんなところに通ってるアンタが、なんだってこんなところに転がり込んでくるのかしらね。転がり込んできて、繁華街に入り浸ってるオトコを追いかけて」
煙を吐き出す。
「でもさ、それを言うなら慎ちゃんだって同じかぁ」
ペロリと紫の唇を舐める。
「所詮はアタシの知らない世界の事なんだから、アタシに理解なんてできるワケもないのか」
「私だって、よく知ってるワケではないですよ」
「でもアンタ、唐渓の生徒なんでしょう? 言ってる事だってやってる事だって、世間知らず丸出しだし」
まぁ、霞流さんに会うために夜の繁華街で待ち伏せするって行動とかは、たしかに常識外れだったかも。
「アタシはもともとこの辺りの人間じゃないから詳しくは知らないけどさぁ、金持ちの世界って、奥が深いのねぇ」
「ユンミさん、ココらへんの人間じゃないんですか?」
「そうよ」
間延びした返事をしながら煙を吐き出し、やがて紐を引っ張ってハンドバックを引き寄せた。中から取り出したのはキラキラの財布。
「話してたらお腹空いちゃった。コンビニで何か買ってきてよ。近くにあるの、知ってるでしょ」
言いながら取り出したのは一万円札。
それしかなかったのかもと思いながらもコンビニ行くのに一万円札かぁと手を伸ばした。
「グラタンか焼きそば。冷やし中華はさすがにまだ出てないわよねぇ。チャーハンみたいなご飯ものはパス。あとはコーヒー。ストロー差して飲むようなヤツ。できるだけ砂糖は少なめ。でも無糖はパスね。パックで無糖ってのは無いと思うけど、最近はヘンな新商品も多いから間違えないでね」
「無かったら?」
「無かったら買ってこなくていいわ。自販機で買うから。あ、あとアイスも。バニラで」
「はぁい」
居候の身だ。パシリに文句は言えまい。
入口で靴を履く背中にのんびりとした声。
「アンタも何か買っていいわよ。その体型ならドカ食いするワケでもないだろうし」
「じゃあ、パンくらいは買ってきます。あ、そう言えば、肉まんみたいなのってまだ売ってるのかな?」
「今は年中置いてるんじゃない? 真夏におでん置いてる店もあるくらいだし」
「じゃあ、たぶん肉まんかな」
「好きなの?」
「いや、別に」
否定しながら考える。
好き、なのかな?
「肉まん。お前、好きだろ。どうせメシなんて作るつもりもないんだろうし、少しは食えや」
玄関を出ようとして、思わず足を止めてしまった。あの時の肉まんは、暖かかった。あれから一年が経った。
「どした?」
「あ、いえ、別に。行ってきます」
聡の声を振り払うように、美鶴は勢いよく扉を開けた。
美鶴がマンションに帰らなくなってから数日。聡も瑠駆真も美鶴がどこで夜を過ごしているのか、見つける事ができずにいた。学校には出てきているのだから待てばそのうち帰ってくるなどと気楽な事を詩織は言うが、瑠駆真も聡も心穏やかではない。手持ち金はそれほどないだろうから、ネットカフェやカラオケ店は考えられない。誰かのところに転がり込んでいる可能性が高い。本人も言っていた。私にだって転がり込める場所くらいはある、と。
美鶴が頼れる人間って、誰だ?
岐阜の綾子には詩織が連絡して、居ない事を確認している。
綾子って誰ですか? といった瑠駆真の問いには、岐阜でお世話になってたお店のママよ、と詩織はサラリと答えた。
中学や小学時代の知り合いというセンも考え難い。もしそんな人間に頼っているのなら、美鶴は毎日、岐阜から学校へ通っている事になる。それこそ金銭的に無理だろう。
やっぱり霞流、か?
もしくは、霞流繋がりで知り合った人間、とか。
考えられるのは繁華街。だが、幾度足を運んでも、美鶴の姿を見つける事はできない。美鶴どころか、霞流や、男か女かも判別できないユンミという人物の姿すらも見かけない。
繁華街へ通うようになって、その世界の奥深さを知った。サラリーマンがアフター5に通うような飲み屋などの表面の世界の奥に、もっと濃厚で深い世界が広がっている。霞流やユンミはどうやらそちらの世界の住人のようだ。その証拠に、意を決して聡が客引きの男に声を掛け、ユンミの名を口にしたら薄ら笑いを返された。
「アンタ、ユンミの何?」
何? と問われると、どう答えてよいのかわからない。霞流の名前を出しても知らないと返された。
二人は同じ世界の人間だとは限らないということか?
同じ世界って、そもそも何だ?
わからない。
使えるものは使えとばかりにツバサを捕まえて問い質しもした。最初は口を閉ざしていた彼女も、美鶴が家出をしていると聞くとさすがにウロたえた。
「お兄ちゃんに会うために霞流って人に会いに歓楽街みたいな所に行った事があって」
「歓楽街のどこだ?」
「それが?」
夜だったし、そもそも界隈の地理に疎いツバサは、連れて行かれた店が繁華街のどこにあったのかなんて、今となっては思い出すこともできない。
「すっごく入り組んでる路地を入って行ったような気がする。なんだかすごく薄気味悪くって怖かったもん」
そんなところに美鶴は行き付けているのか。
苛立ちで聡の拳が震える。
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